書き出しに書くことが思い浮かばない,ということは,今日の僕は一生懸命仕事をしたということだ。えらい。納品前なのだから当たり前といえば当たり前だけど,その事実は僕のえらさを微塵も毀損するものではない。えらいぞ僕。

朝起きてまずなにをしたっけ。まずカーテンのひだを数えたな。それから花瓶の水を換えた。体重も計った。思ったより痩せていて嬉しかった。それで,そこからはもうずっと仕事だった。納品前照査の準備をして,書類を直して,飛び石になっていた打ち合わせの合間を縫って手元の作業を終わらせた。シャワーを浴びて身支度をして,背広に着替えて家を出る。銀座で客先を2件はしごしてから,そのまま帰宅した。今日も朝昼のご飯を抜いてしまった。反省している。

今日のお夕飯は豚しゃぶとあおさのお味噌汁,キムチ豆腐,浅漬けにしたきゅうりだった。無性にお腹が空いていて,貪るように食べてしまった。豚しゃぶを口に運ぶ時,体感で普段の1.5倍くらい大きく顎を使っていたと思う。そうやって僕がガツガツ食べているのを,妻は笑いながら見ていた。妻の味噌汁が減っていないことに気がついて,僕がもらっていいかと訊ねると,彼女はまた笑っていた。結局,もらった。さっぱりした食事で,満腹の割に胃が軽い。気持ちよく寝られそうだ。

そういえば今日,職場のスタッフから唐突にバーベキューに誘われた。今回はあいにくタイミングが合わなくて行けないけれど,バーベキューに誘われる,という事象そのものにとても夏を感じた。まあまた誘ってくれ。平日がいいな。無理かな。じゃあ休日でもいいかな。なるべく早めに教えてくれると調整しやすいな。

 

晴れた。今日は1日晴れていた。久々の青空は高く潤み,風は湿った緑の匂いをふくんで,ため息のように濃厚だった。草いきれに薫るこの風はすでに初夏のものではない。今日から夏だ。夏が始まる。

今朝は珍しく,妻がコーヒーを飲むと云うので,それに付き添って近所のコーヒースタンドまで散歩をした。僕はコーヒーを飲まないので手持ちぶさたのまま,会計に並ぶ部屋着の妻の,その後ろ姿をぼんやり眺めていた。そこから少し視線をずらすと,影のように延びた路地の先で,明治通りアスファルトがほのかに揺らめいていた。

あまりにも天気が良かったから,今日は出社することにした。久しぶりに背広ではなく,ポロシャツで出勤した。職場に着くなり他のスタッフたちから"今日はやけに爽やかですね",と続々声を掛けられる。そうか,やはり背広姿というのは暑苦しく映ってしまうものなのだな。見渡せばみんなすっかり夏らしい格好で仕事をしている。とはいえどうにも,カフスもネクタイもないまま書類仕事をする違和感に耐えかねて,早めに自社の仕事を切り上げた。

それから新小岩に移動して,取引先の事務所で調達関係の報告をしたり,営業進捗の報告を受けたり,面接の設定をしたり,Slack の新機能を試そうと思って挫折したりして,一通り仕事が終わったのが21時前。このあたりでようやく朝昼を食べ損ねたことに気がつく。

帰り道,電車内,気かがりなスタッフと文面でやり取りしていたら,最寄駅を乗り過ごしそうになる。あわてて電車を降りると今度は,自動改札にひっかかる。定期代わりの AppleWatch の電源が乗車中に切れたせいだった。血の気が引く。まずい。現金がない。カードと携帯しかない。どうせ両方使えない。万事急す。どうする。なにはともあれ蒼ざめた顔で駅員室に飛び込むと,僕の窮状を察してか爽やかな駅員は実に慇懃に対応してくれた。久しぶりに電車など乗るとすぐにこうだ。

夕食はハヤシライスだった。僕も料理を手伝わせてもらった。といっても言われるがままに炒め物をしただけだ。色味のいい薄切りの牛肉が,鉄板の上で変色していくのを眺めているのは,これは果たして料理だろうか。などと逡巡しつつ僕がぼーっとルーをかき混ぜていると,その間に妻は器用に卵を仕立てては綺麗に皿に盛り付ける。そして出来上がった料理は,曰くオムハヤシ。ああ,オムハヤシ。この語感のミスマッチがたまらない。オムとハヤシ。水と油。北風と太陽。ロミオとジュリエット。この,スシバーやカミカゼアタックをはるかに凌駕する圧倒的なエキゾチシズム。合成語らしからぬ一体感。思わずアクセントの位置をずらしたくなる洒脱なシニフィアン。ちなみに味はきっちりぴったり予想通り。

それから未来の商売について妻とあれこれ話しているうちに,こんな時間だ。

目が醒めると小雨だった。このところ抜けの良い青空を見ていない。この時期は日を追うごとに梅雨色が濃くなってゆく。カーテンの隙間からみる雲の分厚さに,憂鬱とまでは言わないが,陽射しが恋しくなる。音もなく降る雨を見ながら,今日は一歩も外に出ないかもしれない,そんな予感が脳裏をかすめる。そしてその予感は案の定現実となる。

仕事の調子が出るのも遅くて,どうも馬力を感じない一日だった。書類仕事の進みも悪くて,指示も鈍かったように思う。諸連絡も後回しにしがちだった。とにかく気分が乗らなかった。気圧を言い訳にしたいところだが,自分がそんなに繊細な作りをしていないことは分かっている。こういう自分のだらしなさや情け無さとは,いつしか向き合わないようになった。生きていればそういう日もある。今日は滑り出しで躓いた嫌いがある。明日はムチの入れ方を工夫してみよう。

だらだら仕事をしていたら,無自覚に朝昼を抜いていた。夕方あたりからやけに頭の回りが鈍くなって,ようやく空腹を自覚する。一度自覚してしまうと空腹はいよいよと深刻になり,すぐに夕食のことしか考えられなくなる。そこで打ち合わせの間を見て妻にオニオンスープとスパゲッティアラビアータを注文する。

しばらくすると部屋の中はいかにも美味しそうな匂いで充満する。空腹をえぐる薫香だ。無論,仕事どころではない。何もかも放り出して食卓に着く。中途で仕事を切り上げることに一抹のやましさはあったものの,料理が美味しくてすぐにどうでもよくなった。

今回のアラビアータソースにはザクザクと刻んだオリーブが入っていた。この油分と果肉の上品な渋みがトマトの風味を持ち上げる。スパゲッティとの絡みもいつもよりしっかりしていた。数ヶ月を経てこのところアラビアータのレシピが仕上がってきたように思う。こういう洗練は喜ばしい。その一方で,トマトを使う料理が出るたびバッサバッサと使われるパルメザンチーズが,今日また切れた。

食事のあと軽く寝てから,遷宮に関するドキュメンタリーを観た。伊勢神宮遷宮は知っていたが,出雲大社にも遷宮概念があることは意外だった。ただし,伊勢の遷宮が建て替えの様相を呈する一方,出雲大社のそれはあくまでも補修といった程度で,同じ言葉でもその実態にはずいぶんな乖離を感じた。

個人的に番組内でもっとも興味を惹かれたのは,日本書紀の執筆時期についての研究結果だ。日本書紀は30巻から成るが,いわくそれらは1巻から順に編まれたわけでなく,大きく2つの時代群に分割できるのだという。漢文的に正確な群は渡来系の中国人によって編纂されたものとされるが,別の群は文法的には破格だらけ,語彙も和習ばかりで,明らかに日本人の手になるものだそうだ。そして,今に伝わる神話の輪郭はほぼ後者,日本人の手によって比較的新しい時代に編纂された群の内容に依っているとのことだ。神話は野放図に生まれるのではなく,支配の形式,その目的に応じて編まれるのだと実感する。

寝過ぎた。5時だった。午後5時だ。過眠による倦怠感を拭うのに1時間かかった。ひとしきり倦怠感が拭われると,今度は焦燥感が襲ってきた。日曜日が終わってゆく。曇天を差し引いてもすでに外は昼の明るさではない。冬ならとっくに夜だろう。夏だがそろそろ夜になる。無為に迎える夏の夜ほど間延びして惨めなものはない。何かしなくては。とはいえ時間も時間だし,明日も仕事がある。思いつくことといえば食事に色気を出すことくらいだった。

妻が刺身を食べたいと言っていたのを思い出して,2人で恵比寿の寿司屋に行った。コース仕立ての外食はいい。主体的には食べているだけなのに何かを為している気分になれる。味さえ良ければ最高の娯楽だ。今日の店は味がよかった。したがって今日の食事も最高の娯楽だった。昨日あれだけの肉をぺろりと完食していた妻だったが,今日はさっそく限界までシャリの量を減らしていた。とはいえ追加ネタまでしっかり食べ切っていたので,大将の調整がよほどいい塩梅だったのだろう。

雨も上がっていたので,帰り道は歩くことにした。夕方まで眠っていたせいで不足した運動量を,散歩がてら補いたかったというのもある。特に寄り道もしなかったので,1時間足らずで家に着いた。着く間際にあたった夜の霧雨が身体を心地よく冷やした。

それから2人で『モテキ』という映画を観た。くだらない人間たちが寂しさや弱さを持ち寄って,だらしなく生きている様子を写した映画だった。僕はこういう映画を観ると腹が立ってしまう。この映画では各人が各人に対してかなり不躾というか,無礼な言動を繰り返すのだけど,誰も誰かに謝らない。感謝もしない。そのくせ揃いも揃って八つ当たりするし,公共空間で大声を出すし,貞操観念が終わっている。まともな人間が1人として出てこない映画で,僕はいったい誰の気持ちになってこの作品を観ればよかったのか,結局今も分からないままだ。

自宅の水道水が,そのままだとどうにも飲むにはぬるい。夏に飲む水には潤いよりもまず冷ややかなことを求めたい。そこでこまめに氷を作り置く。夜中などに喉の渇きに目を覚ます。うつらうつら,アルミ製のタンブラーに水を注ぐ。そこに氷をひとつかみ落とす。ぴしぴしとヒビの進む音がする。つーっと泡の抜ける音がする。くっと一口含む。ほてった食道を冷感が駆け抜ける。うまい。夏の水の味だ。夏の夜はだいたいこうして目が醒めてしまう。

ぶあつい肉を食べたくなって,妻を誘って近所のステーキハウスに行った。昔何度か1人で行った店だ。今度は2人連れ立って地下への階段を降りる。煉瓦造りの内装も,店中を充す乳臭い脂の匂いも,何も変わっていなかった。いい店だなとしみじみ思う。妻も,果たしてこの店の燻したような世界観がいたく気に入ったようだった。それから僕は14オンスの,妻は8オンスのサーロインを注文した。店内の様子に聞き耳を立てながら待つこと20分ほど。これこれ,という見た目の,きわめて肉らしい肉が提供される。食べる。熱い。厚い。うまい。一口食べるごとに,いい店だなとしみじみ思う。妻も普段からは考えられない食べっぷりで,大ぶりの肉をぺろりと完食していた。

自宅から四谷の方まで散歩をした。三井のホテルの広場を横切り,繋がる無名橋を渡り,渡りながら首都高を見晴らして大京町へ抜ける。そのまま外苑西通りをさまよい,新宿御苑から富久町,住吉町,愛住町を抜けて,四谷三丁目の交差点で信濃町方面へ引き返した。曇天の垂れる四谷の路地裏は,気配が淀んていて怖気付いた。土曜の宵には似つかわしくない不穏さがあらゆる物陰に息を潜めているようだった。信濃町からはおとなしく原宿の方へ戻るつもりだったのだけれど,夕食の予約時間の都合で結局は国立競技場の周囲をぐるっと一周した。一周しながら驚いた。まず空間に行き届いた整備に驚いた。都内の公共空間としては屈指に手が掛かっている。次に人の少なさに驚いた。土曜の夜の渋谷の大公園にしては,人の気配があまりにまばらで,静まりかえっている。そして外周の広さに驚いた。5分くらいで一周出来ると踏んでいたのが,15分掛かった。途中何人かランナーの姿も見かけた。わかる。あれは実に走りたくなる空間だ。自分の足を踏み締めて駆け抜けたくなる近未来感だ。

日傘

暗がりにずっといた。そこで色々なものを見た。色々なことが起こり,色々な人と出会った。すべて暗がりにしか自生しないものであり,暗がりでしか生じない現象であり,暗がりにしか住まない人々だった。日向は見えていた。日向へ続く道も知っていた。でも日向へは行かなかった。あまりにも眩しかった。日向はあまりにも白々しくて,あまりにも過酷に思えた。だから暗がりにずっといた。出てゆくつもりもなかった。あけすけな白日よりも,鬱蒼とした薄闇の方が,自分には相応しいと思っていた。日光は僕から何もかもを奪ってゆく気がしていた。陽の光が怖かった。

僕は暗がりで育った。僕の身体,精神性,自我や,美意識の輪郭は,すべて暗がりから与えられたり,暗がりの中で培われたりした。そういうもの。過剰と欠落。陽の光の下で育っていればふつうは獲得せずに済んだものを,たくさん獲得してしまっていた。陽の光の下で育っていればふつうに獲得できたはずのものを,獲得せずに生きていた。それでも生きてこられたのは,そこが暗がりだったからだ。あのままの状態で日向に出たら,うかつな太陽に殺されていただろう。

憎たらしくて仕方なかった。羨ましくて,嫉ましくて,どうしたらいいか分からなかった。日向の景色を想像したり,そこで生きる人たちの気配を遠巻きに感じるたびに,憧ればかりつのった。暗がりのそこここに転げている屍や抜け殻に,つまずいたり,踏み抜いたりするたびに,嫌気がさして,抜け出したくて,抜け出せなくて,のたうち回った。

本当はとっくに気がついていた。暗がりは別に優しいわけじゃない。暗がりはただ隠すだけだ。暗がりは何も守らない。暗がりはすべてを曖昧にするだけだ。光を嫌う存在が押し寄せ,吹き溜まるから,暗がりはいつも粘着質な腐臭と陰気な不寛容で満ち満ちていた。

結果的に,暗がりからは抜け出した。気がついたら抜け出していた。すくなくともいまはそのつもりでいる。だってここは太陽の匂いがする。風もまっすぐに吹いている。見晴らしがきく。ここは,はたしてかつて腹の底から憎み,憧れた,あの日向なのだろうか。よく分からない。分からないならそのままでいい。暗がりでないというなら,そう信じられるなら,それで,それだけでいい。日傘をさして,ここで生きていく。

戦略

商売の世界にいると,あらゆる場所,あらゆる場面に”戦略”があふれている。ありふれている。経営戦略,マーケティング戦略,人事戦略,広告戦略,営業戦略,その他諸々,挙げていけばキリがない。どうしてこうも,巷の商売人という人種は商売について戦略を語るのが好きなのか,僕には不思議で仕方がない。ところで僕は戦略を語らない。語れない。これでも商売人の端くれをやっているつもりだけど,商売上の戦略というものを語ったことは,たぶんこれまで一度もない。それは僕が,戦略というもの,とくに巷で言われている意味での商売における戦略というものを,自分の言葉で語るに足るほど理解していないからだ。そしてある意味では,理解できないことを確信してもいるからだ。

知る限り,そして読んで字のごとく,戦略という語の由来するところをただせば,戦争論や兵法だろうと思う。戦争。今しも,ロシアがウクライナに仕掛けた戦争の話題が次々に飛び込んでくる。そこで記者は戦況を語り,司会者は悲惨を語り,識者は政治を語り,専門家が戦略を語る。戦略。これが,この激烈な行政執行にまつわる整序された思惑の系を戦略と呼ぶのなら,僕のやっている商売に戦略などない。存在しないし,必要もない。これまでもそうだし,これからもたぶんそうだ。

これは,戦争は絶対的な悲劇だから,そこに由来する語を軽々に商売で使うべきではない,という主張ではない。僕が戦略という語を比喩的に商売の文脈に用いることに否定的なのは,単にそれが比喩として失敗していると思うからだ。そして失敗した比喩を弄することは,商売に限らずどんな状況においても,一般的にあまり肯定的な効果を及ぼさないと思っているからだ。

当然のことだが,商売は戦争ではない。猫が花瓶ではないように,商売は戦争ではない。商売と戦争に(準)同型性を見出すために必要なモデル化は,猫と花瓶に(準)同型性を見出すために必要なモデル化と同じくらい困難で,高度だ。そして,無意味で,割りに合わない。少なくとも僕の認識空間において,この二者の意味的な距離は非常に遠い。

まずもって,その目的が違う。ふつう,戦争の目的は勝利だ。勝利とは,ある競争状況について,敵に対する自分の有利が決定的なことだとしよう。つまり,競争状況が終わるまで有利と不利の均衡が大きく変わってしまう見込みがほとんどない,ということだ。戦争の主体は,おおよそこういう形での勝利を目指すように思える。

一方で,商売の目的は勝利ではない。商売の目的は貢献だ。貢献というのは,誰かの役に立って,喜んでもらうことだ。そういう貢献が目的である以上,商売というのは自律的な持続性を持つ。ゴーイングコンサーンというやつだ。商売の息が長いほど,貢献の総量も増える。その意味で,商売に戦争的な意味での敵はいない。もちろん競合なり商売敵の存在は否定しないけれど,そういう”敵”に”勝利”したところで,それに起因していっそう世間様のお役に立てるかと言えば決してそうではない。

目的が違うことにしたがって,目的達成のための原則的な手段も違う。言わずもがな,戦争における中心的な手段は暴力であり,昨今はもっぱら火炎と鋼鉄の力だ。では,商売はどうか。商売の目的,すなわち持続的な貢献への手段とは何か。難しい。難しいが,おおよそ大抵の場合,それは折衷と呼べるようなものだ。つまり,折り合いをつけること。これは今の僕が認識する限り商売の本質を成す。暴力は一方的にも可能だし,ゆえに往々にして一方的になるけれど,一方的な折衷は語の定義上生じない。折衷は常に相互的なもので,理想的には相補的なものだ。

戦争と商売は,こんなにも違う。少なくとも僕とってこの乖離の程度は甚だしく見える。そして,その甚だしい乖離を横断して,おそらく商売の側が輸入したと思われる”戦略”という語が,それなりの意味を発揮できるとは思えないし,実際,発揮していると思わない。

しかし,それはそれとして,この戦略という語が商売の文脈で頻繁に使われているというのもまた紛れもない事実だ。戦略という語の意味を介したコミュニケーションは数多行われていて,それらはなんらかの形で受益者を生じている。だから使われ続けている。では,その受益者の享受する正の効用とはなんだろう,と考えてみる。

すると,それはある種の旗印なのではないかと思われてくる。その意味がどんなに薄く,かりそめのものであってもかまわない。なぜなら,戦略という語はその使用者たる商売人たちにとっては単なる旗印であって,戦略なるものが存在することを仮定して商売をしている人間同士だ,ということを確認し合う手段に過ぎないからだ。戦略の二文字が記された旗を背に竿して巷を歩けば,同じ旗の下にわらわらと,同じような人間が集まってくる。戦略の意味など,そこに集まった人間たちの間で最低限の同質性を担保する限りにおいて,その場その場で好きに書き換えればいい。そのために,その意味を空っぽにしてあるのだ。

あるいは,ゴールドラッシュ当時のジーンズやスコップに相当するのかもしれない。リーバイスを履いて,スコップを携えていれば,その人物の目的や属性は一目瞭然だ。そしてこの比喩がそれなりの精度をもっているとしたら,当然その背後に蔓延る思惑や利得にも思い至る。有名な俗話だが,ゴールドラッシュの熱病を煽り,金鉱から一番大量の金を掘り出したのは,ジーンズを売り,スコップを売った人間だという。似たような話は古今東西にあまねく存在する。さて,では今度,幻の金鉱に人を駆り立て,その麓で”戦略”を売り歩いているのは,いったいどんな人々だろう。どこの誰だか知らないが,彼らこそ本物の"商売人"だ。機を見て敏とはかくのごとし。揃いも揃って,みんな一本取られている。

一本どころか,じっさいは何本でも取られていておかしくないが,先も言った通りで,その分負けがこむわけではない。損はするかもしれないが,それは負けではない。戦略の存在が自明視され,それが飛び交う界隈には,それなりのリテラシーと熱意が芬々としているのも,また事実だろう。そういう場所が,商いの場として魅力的なのは間違いない。戦略とハサミは使いようとも言う。そこに機があれば,意味の虚しさにひととき身を委ねるくらいは安いものだ。そういう思惑で炯々と眼を光らせる商売人も,戦略という語の傘の下にはきっとたくさんいる。

そして,空虚の中に虎視眈々と時機を待った商売人同士が目を合わせ,手を取った時,そこにもはやおぼろげな"戦略"の入り込む空隙はない。そこで戦略は予算となり,戦略は計画となり,戦略は方針となり,戦略は順序となり,戦略は根回しとなり,戦略は行動へ,人間の動きへと消化され,還元されていく。

そういう意味で,戦略という語に語としての意味を求めるのは間違っているのだろう。それは空虚であるがゆえに存在価値を持つような,ひとつの旗印であり,スコップであり,触媒に過ぎない。しかし,少し考えればこんなにも当たり前なことを,当たり前であるからこそ,人間は忘れる。どんなに志を高く持つ商売人であろうとも,人間であるからには必ず忘れる。そして字面に囚われて,比喩の引力に翻弄され,胡乱な言説の陥穽にどこまでも落ちていく。その結果,クラウゼヴィッツや孫氏をありがたがり,物流を兵站として戯画化し,戦略と戦術の違いについて喧しく,中間管理職風情で君主論に参考を求めるような商売人が後を絶たないということが起こる。挙げ句の果てに最近の流行りは地政学だそうだ。

個人的には,戦略なる空虚に吸われていってしまう商売人のその旺盛な知識欲と向上心が,そのほんの一部でも簿記と統計と論理学に割かれることを願ってやまない。初歩でいいし,さわりでいい。簿記は日商3級程度でいいし,統計は統計検定4級程度でいい。論理学なんて古典的一階述語論理の概略までで十分だ。お釣りがくる。商売上の会話や文面のやり取りでは,双方のこの辺りの素養の有無如何で,快適性がまるで違う。話が早いし,気持ちがいい。せっかくならなるべく,気持ちよく商売がしたい。かくて戦略を学べばもっと気持ちよく商売ができるようなら,ちょっと勉強してみようかとも思うのだけど。