日傘

暗がりにずっといた。そこで色々なものを見た。色々なことが起こり,色々な人と出会った。すべて暗がりにしか自生しないものであり,暗がりでしか生じない現象であり,暗がりにしか住まない人々だった。日向は見えていた。日向へ続く道も知っていた。でも日向へは行かなかった。あまりにも眩しかった。日向はあまりにも白々しくて,あまりにも過酷に思えた。だから暗がりにずっといた。出てゆくつもりもなかった。あけすけな白日よりも,鬱蒼とした薄闇の方が,自分には相応しいと思っていた。日光は僕から何もかもを奪ってゆく気がしていた。陽の光が怖かった。

僕は暗がりで育った。僕の身体,精神性,自我や,美意識の輪郭は,すべて暗がりから与えられたり,暗がりの中で培われたりした。そういうもの。過剰と欠落。陽の光の下で育っていればふつうは獲得せずに済んだものを,たくさん獲得してしまっていた。陽の光の下で育っていればふつうに獲得できたはずのものを,獲得せずに生きていた。それでも生きてこられたのは,そこが暗がりだったからだ。あのままの状態で日向に出たら,うかつな太陽に殺されていただろう。

憎たらしくて仕方なかった。羨ましくて,嫉ましくて,どうしたらいいか分からなかった。日向の景色を想像したり,そこで生きる人たちの気配を遠巻きに感じるたびに,憧ればかりつのった。暗がりのそこここに転げている屍や抜け殻に,つまずいたり,踏み抜いたりするたびに,嫌気がさして,抜け出したくて,抜け出せなくて,のたうち回った。

本当はとっくに気がついていた。暗がりは別に優しいわけじゃない。暗がりはただ隠すだけだ。暗がりは何も守らない。暗がりはすべてを曖昧にするだけだ。光を嫌う存在が押し寄せ,吹き溜まるから,暗がりはいつも粘着質な腐臭と陰気な不寛容で満ち満ちていた。

結果的に,暗がりからは抜け出した。気がついたら抜け出していた。すくなくともいまはそのつもりでいる。だってここは太陽の匂いがする。風もまっすぐに吹いている。見晴らしがきく。ここは,はたしてかつて腹の底から憎み,憧れた,あの日向なのだろうか。よく分からない。分からないならそのままでいい。暗がりでないというなら,そう信じられるなら,それで,それだけでいい。日傘をさして,ここで生きていく。