目が醒めると小雨だった。このところ抜けの良い青空を見ていない。この時期は日を追うごとに梅雨色が濃くなってゆく。カーテンの隙間からみる雲の分厚さに,憂鬱とまでは言わないが,陽射しが恋しくなる。音もなく降る雨を見ながら,今日は一歩も外に出ないかもしれない,そんな予感が脳裏をかすめる。そしてその予感は案の定現実となる。

仕事の調子が出るのも遅くて,どうも馬力を感じない一日だった。書類仕事の進みも悪くて,指示も鈍かったように思う。諸連絡も後回しにしがちだった。とにかく気分が乗らなかった。気圧を言い訳にしたいところだが,自分がそんなに繊細な作りをしていないことは分かっている。こういう自分のだらしなさや情け無さとは,いつしか向き合わないようになった。生きていればそういう日もある。今日は滑り出しで躓いた嫌いがある。明日はムチの入れ方を工夫してみよう。

だらだら仕事をしていたら,無自覚に朝昼を抜いていた。夕方あたりからやけに頭の回りが鈍くなって,ようやく空腹を自覚する。一度自覚してしまうと空腹はいよいよと深刻になり,すぐに夕食のことしか考えられなくなる。そこで打ち合わせの間を見て妻にオニオンスープとスパゲッティアラビアータを注文する。

しばらくすると部屋の中はいかにも美味しそうな匂いで充満する。空腹をえぐる薫香だ。無論,仕事どころではない。何もかも放り出して食卓に着く。中途で仕事を切り上げることに一抹のやましさはあったものの,料理が美味しくてすぐにどうでもよくなった。

今回のアラビアータソースにはザクザクと刻んだオリーブが入っていた。この油分と果肉の上品な渋みがトマトの風味を持ち上げる。スパゲッティとの絡みもいつもよりしっかりしていた。数ヶ月を経てこのところアラビアータのレシピが仕上がってきたように思う。こういう洗練は喜ばしい。その一方で,トマトを使う料理が出るたびバッサバッサと使われるパルメザンチーズが,今日また切れた。

食事のあと軽く寝てから,遷宮に関するドキュメンタリーを観た。伊勢神宮遷宮は知っていたが,出雲大社にも遷宮概念があることは意外だった。ただし,伊勢の遷宮が建て替えの様相を呈する一方,出雲大社のそれはあくまでも補修といった程度で,同じ言葉でもその実態にはずいぶんな乖離を感じた。

個人的に番組内でもっとも興味を惹かれたのは,日本書紀の執筆時期についての研究結果だ。日本書紀は30巻から成るが,いわくそれらは1巻から順に編まれたわけでなく,大きく2つの時代群に分割できるのだという。漢文的に正確な群は渡来系の中国人によって編纂されたものとされるが,別の群は文法的には破格だらけ,語彙も和習ばかりで,明らかに日本人の手になるものだそうだ。そして,今に伝わる神話の輪郭はほぼ後者,日本人の手によって比較的新しい時代に編纂された群の内容に依っているとのことだ。神話は野放図に生まれるのではなく,支配の形式,その目的に応じて編まれるのだと実感する。