バーベキューがなかなか不愉快だったので,今日も文化的な入浴が必要になってしまった。このところ誘われて行く食事が軒並み外れてばかりで人間不信に拍車が掛かる。もう自分の味覚以外なにも信じられない。こうして僕は徐々に意固地な保守派になっていくのだろうか。のぞむところだ。

文化的入浴の前にまず,昨日終わらなかった仕事をなんとか収めるために休日出勤をしなくてはならなかった。それでも何とか休日の形を保つために、妻と一緒に新小岩の工場に向かった。遠くに入道雲が見える。職場へと向かう道すがら、体にまとわりつく水蒸気の気配を感じる。風が吹いている。この湿気をこの風があんなに遠くまで運んでいくのだなぁと不思議な気分になる。工場の前には見慣れた車が数台止まっていてどうやら休日出勤をすることになったのは僕だけではないらしい。すぐにシャッターの奥から人影が現れる。簡単に妻を紹介してそのまますぐに事務所へと上がった。

思っていたよりも休日出勤の人数が多くて、思わず背筋がぞっとする。これだけの人数が休日に出勤しているという事はそのためにこれだけの人数分休日手当が支払われているわけで,経営者の立場からすればなんともぞっとしない話ではある。はずなのだが,当の社長も出勤しておりなんとなくダラダラとした様子で働くスタッフを温かく見守っていた。この会社と取引をしていると時々こういう風に自分自身のコスト感覚との違いに愕然とすることがある。いい意味でも悪い意味でも、およそ9割9分以上は悪い意味なのだが,この会社は趣味の延長的に運営されているきらいが強い。せっかくの夏なのだしもっとしゃきっとした組織になってもらわないと困る。

許された時間の中で最大限組織をしゃきっとさせてから,僕と妻は兼ねて目的だった蕎麦屋に向かった。NHKのドキュメンタリーでこの蕎麦屋の店主を見て以来いつか行こうねと約束していた。こんな形で念願叶うとは思っていなかったが,叶ってしまえば同じである。両国駅から江戸東京博物館のほうにしばし歩いて,大通りと薄暗い路地のちょうど境目あたりに,行灯を点したようにポッと浮かび上がる美しい軒先がある。店構えもキリッと引き締まって独特の緊張感と格式を感じさせる。店内についても同様で何から何まで店主の美意識が行き渡っており,よく整理され,整頓され,見るからに清潔に保たれている。多くが小料理屋の様相を呈する昨今の都内の蕎麦屋の風潮の中で,この店は明らかに蕎麦屋であることをアイデンティティとしている。その潔さが心地良い。僕は穴子と夏野菜の天ぷらそばを頼んで,妻は冷やした牡蠣のそばを頼んだ。どちらも実に品がよく上質な味わいだった。特に驚いたとは蕎麦自体の品質の高さだ。芳醇なカツオの薫るつゆの風味とほどよく調和する香ばしい蕎麦の匂い。そしてツルツルの喉越し。これで十割そばだというのだから恐れ入る。

蕎麦を食べ終えてもまだすこし余裕のあった胃袋にトンカツを詰め込んで,パンパンになったお腹をなだめながら帰路についた。