これは日記ではない。日記であるはずだったのに,日記ではなくなってしまった。日記とはその日あったことを書き記すものだ。少なくとも僕はそう信じている。では,昨日あったことを書き記した文章はなんと呼ぶのだろう。一昨日あったことを書き記したものは?そしてはたして,そんなものに,そんな記録に意味なんてあるのだろうか。そう考えながら僕はいまスケジュールを振り返って,3日前の記憶を掘り起こそうとしている。

この日は……この日は,たしか急ぎの仕事を自宅で終わらせてからすぐに新小岩に向かった。対面で対応するべき仕事がそれなりに積まれていたので,この機会に一気に片付けてしまうつもりだった。結果的に,片付たかどうか,かなり微妙なところだ。人間の心の動きというのは,煮えたぎるマグマみたいだ。熱くて,ドロドロしていて,いかにも有害で,実際見た通り以上に有害なのは間違いないのだけど,どこかちょっかいをかけたくなる。そしてちょっかいをかけるたびにちゃんと火傷をして,もうなどと立ち入るまいと決意を固める。そんなことを僕は繰り返している。固めた決意は必ず忘れるからだ。覚えているのはどうでもいいことばかり。

翌日は郡山までの出張があったものだから,本当は早く寝なくちゃいけなかった。そんな夜に限って読書が捗ってしまって,寝付けない。第二次大戦以降のヨーロッパ史を振り返るためにてきとうに見繕った1冊が大当たりだった。文体も内容も申し分ない。ヨーロッパという共同体のままならなさ,気高さ,怒りや怯え,アメリカとの対峙姿勢など,今の僕の好奇心にとって非常にちょうどいい情報粒度と情報量だ。まだ読み途中だから確定した評価ではないけれど,『豊かさの誕生』以来のヒットになりそうだ。

こうして書いていてつくづく思う。日記は鮮度がよくないといけない。記憶や印象はなまものだ。今の僕にしてみたらこの日はもうすでに数多の過去の1日にすぎない。でも,この日を生きたこの日の僕にとっては,きっともう少し特別な日だったはずなんだ。仕事をして本を読んだだけの1日ではない,摘みたてのミントみたいに生々しくて鮮烈な1日だったはずなんだ。でももうミントは乾いてしまった。今更お湯で煮出してみても,青々と鼻に抜ける本来の冷感は得られない。