じっとりと湿った1日だった。水を含んだ空気が重たくて,座っているだけで肩が凝る感じがした。

ドストエフスキーの『罪と罰』を,もう何年振りか,再読した。朗読を聴くことを読書に数えるかは異論があろうが,とにかく文字情報を順番に解釈していくという点では立派に読書だろう。そして感想はというと,率直に,色褪せて感じた。この小説の主題に対してすでに自分が当事者でない……というか,当事者としての立場を想像できなくなったのが,その大きな要因だと思う。こういう哲学小説というか,思想小説というか,人間の実存を問うような物語は,今の僕には肩肘が張り過ぎて目も脳も疲れてしまう。

「事実は小説よりも奇なり」とはよく云うが,警句のような顔をしてなんて自明な物言いだろう。人間の想像力に対する過信と慢心,そして事実と云う用語に対する油断を感じる。小説の形式に収まるような美しい因果の,その程度の矮小な表現力で,事実の複雑性に太刀打ちできるなどと思い上がりも甚だしいではないか。そしてだからこそ,事実に接近した小説の価値が燦然とするのだ。

事務所に残っていた5人で話し込んだ。話し込んだといっても,実態としては僕の愚痴に部下を付き合わせた形で,職権の濫用と言われればそれまでだが,そんな野暮な人間はそもそもうちでは雇っていない。一通り話してスッキリしたので,そのまま家に帰った。妻の顔を見たらまたフツフツと愚痴が湧いてきたので,結局それからまたしばらく,妻にも話を聞いてもらった。